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平日SE/週末吹奏楽/ときどきアニゲ

おっさんを自覚するの巻

「お若いですね〜」などと言われたらもう若くないことを自覚すべきである。かくいう私も32歳。今年33の齢である。若くありたいと思ってはいるが、そう思っている時点ですでにおっさんである。

 

おっさんになって一番困ること、そして最も最近実感したこと。それは「何も起きない」ことなのだ。日々にエピソードがない。いや本当はあるのかも知れないが、それをエピソードとして覚えていることも語ることもできない。もしかしたらそもそも感じてもいないし、そもそもそもそもエピソードなんてそもそもないのかも知れない。心の安寧を得ることと引き換えに感受性が著しく削られているとも思える。

 

だが、感受性が削られている割には変なところが気になってしまうようで困る。

私だって自分の世代のかつての若者言葉を使ってはいるのだが、今現在の若者言葉を何かで見るとウワッって思ってしまう。正直にいうと悲しいかな嫌悪感を感じるのだ。感じたくないのに感じてしまうのだ。異質なものをだんだん受け入れられなくなっているのかも知れない、危険信号だ。私が近づきたくない大人に近づいてしまっていることに危機感を覚える。違いを受け入れられる器が欲しい。まだ小さい。

 

あとこれは本当におこがましい話なんですけど、「さすが」とか「すごい」とかもう…言わなくていいです。反応困るときもある。何かでヘルプした時は「ありがとうございます」の言葉が一番好きです。60〜80%ぐらいのパワーでちょろっとやった時に褒めてもらうのってあんまり好きじゃない。のだけど100%の全力投球したときは誰も褒めてくれない笑 でもそんなもんなのかも知れない。

 

あと「若さの眩しさ」を羨ましく思わなくなった。今が充実しているのだろうか、こーしてればあーしてればとかいうifの現在つまりは過去に執着しなくなってきた。色々執着してた自分がひどくみっともないものに思えた。まぁ今は今で別の意味でみっともないのだろうが。

 

===

 

そうなんです!

自分を語ることが実に少なくなった!昔はあんなにペチャクチャ喋ってたのに、もう自分を語ることってあんまりないんです。話題がない。あるのかもしれないけど浮かばない。

 

いやでもそういう機会があれば話すのだろう。最近きっと訓練を怠っていたのだ。本当に話しがヘタクソだ。

 

それっぽいことをそれっぽく即興で言うことはできるようになったけど、その代わりに大切な何かを失った気もする。

 

レトリックに傾倒して、中身を軽んじている。

 

楽しい話がちゃんとできる人になりたいと思った。