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平日SE/週末吹奏楽/ときどきアニゲ

終わりがある、ということ

終わりがあるということはよいことだ。何よりも忘れること、忘れられることができる。終わりがあるからこそ、モノゴトの醜美が価値付けられると言っても過言ではないと思う。

 

この世の中に永遠なんて存在しない。形あるものは必ず壊れ、価値あるものはその意味は必ず薄れていく。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とはよく言ったものだ。栄枯盛衰の理は日常と隣り合わせである。

 

かつて、そう、まだ「ブログ」と言った言葉すらない時代、「ウェブサービス」を「レンタルCGI」と呼んでいた時代、ブロードバンドが普及し始めた時代、「CGIBOY」というウェブサービスで私は「Web日記帳」なるものを書いていた。

 

先述したように「ブログ」という言葉はこの頃には存在しないが、今で言う「ブログ」そのものだ。

 

あの頃はどんなにくだらないことでもWeb日記帳に書き、駄文を蓄積していた。そう、私が高校2〜3年の頃だ。多感な時期だったと思う。

 

それも極みに極みを重ね、エキストラバージンオイルもビックリなピュアさだった。ピュアっピュアのピューだった。さらに男子校であるのコンプレックスも相まって、より濃縮度の高い上に歪みに歪んで濁りに濁った感性をしていた。ピュアなのか濁ってるのかはっきりして欲しい。

 

そんな頃、私はある日塾で勉強をしていた。「受験勉強などクソ喰らえだ、俺は受験生などではない」と無駄に謎なあがきをしているクセに、受験勉強をせざるを得ず、まるでアリバイを作るかのごとく勉強をしていた。

そしてエベレスト級のプライドが邪魔して、テストの復習とかちゃんとできなかったというクソさである。だいぶ重症だった。よく大学受かったよな、俺。

 

話が逸れた。

 

塾で勉強をしてたのだが、私は(余計な妄想を働かせてしまうがゆえ)閉鎖的な自習室が苦手だった。どちらかというと授業より早めに言って開放的な空き教室で勉強するのが好きだった。

 

私はいつも通り一番乗り。優雅にでかい教室を独り占めして勉強のようなものをしていた。

そうしたらしばらくして、女子がひとり教室に入ってきた。

同じことを考える人はいるもので、私以外にも空き教室で勉強する人もたまにいるのだ。もちろんその頃の私であってもそれは想定済みである。いやなんていうか、想定しているとかしていないとか、そんな事を考えてる時点でアレなんだが、あの頃の私にとっては想定済みすぎて余裕しゃくしゃくの男爵公爵伯爵だった。

 

当然目線はテキストに落としたままである(当然集中力は欠けている)。

 

ふっ、、リハーサル通り、、(意味不明だし当然集中力は欠けている)

 

しかしそこで予想外の展開となる!!

 

女「…クーラーつけますか?」

 

な、なななにぃぃ?!

 

賢明な共学諸君に説明しよう。

男子校の私にとってリアル女子との会話などほぼ都市伝説に近い。仮にあったとしてもメールでのやりとりだ。音声を介するプロトコルには若干対応していたものの、映像情報との並行処理は当然追いつかなかった。しかも心の準備なしである。

 

いくつもの条件が重なりパニックになりかけたが、そこは流石に私である。冷静な分析と適切な対処を瞬時に検討し、最もベストな回答を導きだしたのだ。私は私を褒めてやりたい。昔も今もそう思う。よくやった、私は私の肩を叩いてやりたい。

 

大ピンチの私がついに発した言葉とは!!

 

 

 

 

 

「アハイ、オネガイシマス」

 

で、で、でたー!

 

「ハイ」だけではなく「オネガイシマス」のオプションまで付与し、文頭に「ア」の接頭辞を付ける事でバツグンのリズム感を演出しているぞ!

これはまさに出血大サービスと言わずしてなんと言うのか!!フレンドリーの極み!!そうだろう?!

 

 

 

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・実時間的にこのやりとりは数秒です。

・1往復のみの会話であり、これ以上の発展は特にございません。

・その方の名前は今も昔も知りません。

 

 

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この記事はおおよそ1800字になる見込みである。

私が高校生の頃、こんな日記を2〜3日に1回は書いていた。しかしこのWeb日記帳のサービスは終了し、かつての日記は永久に失われた。

 

頭に返そう。

 

終わりがあるということはよいことだ。何よりも忘れること、忘れられることができる。